Napの考えること2025(その139)「自作レコード」
自分の音楽歴史というものが誰にでもあるでしょう。なぜ音楽を始めるに至ったか。初めてのオリジナルは何だったか。キャリアが長ければ長いほど、そのストーリーも多岐に亘り内容の濃いものであると想像します。
たとえばビートルズのように時代に強烈な彩りを添えたミュージシャンが作ったアルバムなんかは、今聴いていても新鮮さに溢れ、彼らの革新的な姿勢や挑戦をリアルに感じ取ることができます。
ところで、この間部屋片付けをしてましたら、押し入れにしまったままの、19歳で作ったレコード(当時はレコードのみ)が出てきました。思い切って、そのレコードをターンテーブルに載せて聞いてみましたところ、我ながら瑞々しい歌声と演奏だなあ、と変に感心してしまいました。と同時に十代の頃の自分の心象風景が目の前に拡がってきて不思議な感覚を覚えました。
録音当時は、つたない自分の演奏ばかりが気になったものですが、今はそのことだけにとらわれたりぜずに最後までちゃんと聞くことができたことも意外でした。
いうまでもなく、オリジナル曲が完成した暁には、どんな曲であれ、確実に自分の心に小さな誇りのようなものも付与されるものだと思います。曲のクオリティの差は多少あれど、自分が生み出したもの、という自負があるからでしょうか。
しかし、ミュージシャンの多くが、ライブや自主制作の録音物に対して皆似たようなことをおっしゃいます。「自分の満足できるレベルにはまだまだ達してないなあ・・」と。
でもそれは、更なる上を目指しているということの証拠でもあるので、良いことだと思います。何より大事なのは、次の行動を移せるかどうか、それに尽きます。
僕は音楽のキャリアがそれなりに長いのに、公式には2枚のアルバムしか出していません。数えてみたらトータルたったの21曲です。たぶん300曲近くつくってきたのに、です(苦笑)。
その後、会場売りだけを想定した、CDR盤はその後、何枚か出してきましたが・・・。そのことは、販売予想への自信のなさの表れとも言えます。もちろん、制作費が安く済むというのも理由の一つですが、一番の理由は、やはりまた売れないのでは(苦笑)という不安があったからだと思います。
自信を持って制作して、「きっと、ある程度は売れるだろう」と、思って公に発売したCDだったのに、結果、想定以上には売れなかった・・・、という現実はあまり認めたくない事実でした。しかしそれとは矛盾するようですが、売れなかったからと言って、自信を失った訳ではなかった、ということが僕にとっては最も大きな発見でした。
ですから、その後、もう音楽活動はやーめた、とか。もう趣味で楽しみます、とか。他の趣味に走ることもなく、いまだ新曲をつくり、ライブにも臨んでいる自分がいます。
こうなってくると、もう音楽(僕の場合はアコギ弾き語りという意味になりますが)は生活の一部、例えるなら、体の動脈と同じくらい重要で、自分の人生を動かす気持ちの上での大きな動力とも言えます。だから、やはり、クオリティ、云々だけでなく、その時々の自分の力のほどをしっかりと記録に残すことは大事だなあ、とつくづくも思ったのです。
こんなふうに今考えるのは、振り返るに、結局いつも頭で思うだけで、行動には移していなかったな、という後悔と反省のようなものが入り混じっているからでしょう。
そんなこんな考えるきっかけとなったのが、19歳の時に作った、この自分のレコードなのでした!
現代は音楽配信も手軽にできるようになりましたが、個人的にはちゃんとCD、または、今はレコードもけっこう流行ってますから、そろそろ腹を決めて、次のアルバムをまずは一枚出そうと心にまた誓っているところです(笑笑)。
閑話休題。
さて、全く持って個人のブログのような文になってしまい申し訳ありません。でも何かしらミュージシャンの皆さんなら感じるところがあるのかな?と思い敢えて記してみました。
時代が大きく動いている今日の世界情勢です。何にも動ぜず、過ごしたいものですが、そうはいきませんね。瑣末なことから、ただならぬ困難なども突然目の前に表出することだってあります。
そんな時、自分を励ましてくれる一つが、自作のオリジナル曲だったりすることもあるわけで。これまでのことの何もかも、一つも無駄なこと、無駄な時間などもなかったんだな、と考えたりしました。
どんな場所であっても、どんなシチュエーションであっても良いから、音楽を楽しめるところに自分を置くことができたらと願います。
白楽Napもそんな一つの場所として、これからも皆様に覚えられるのなら幸いです。またお店で、そしてステージでお会いできる日を楽しみにしております。引き続き宜しくお願い申し上げます。
2025年4月12日 白楽Nap代表 竹村龍彦