Napの考えること2023(その134)「音楽魂」
メロディと詞を組み合わせ出来上がる歌。その歌に対する愛しさは当然ながら自分自身が一番強い。その分、自分の歌を客観的に評価するのは難しい。
現にリスナーに受ける歌が予想外な曲ということもあるし、自信を持って歌った曲が全く評価されない、ということもある。
しかしそんな自分でも他人の歌は冷静に聞き取れる。大衆の評価と大きな隔たりもなく評価できる。なのに自作の歌に耳を向ける途端にそれは変わってしまう。
それはなぜか。やはり自分自身が産んだ作品だから。このことが実は僕自身一番分かっているようで分かっていない。
世間で売れている歌の数々をよく聴けばとても単純なことだと分かる。親しみやすいメロディ、心に響く歌声、愛や希望のスパイスを感じさせる歌詞。決して一人よがりではなく、誰かに寄り添い、メッセージのある歌。そんな曲が多い。
だが、これを頭に入れて歌作りができるなら、職業作家になれるわけで、言ってみれば、シンガーソングライターの特権である自由さが失われてしまう。
だから巷のライブハウスのステージに立つアマチュアミュージシャンの歌は「個性はあれど、一般大衆受けする歌が少ない」。そんな捉え方もあるにはある。
では、なぜそれでも人前で彼ら(僕も)は歌おうとするのか。
それは歌をつくっているから。ギターやピアノを弾いて自作の曲を歌うこと自体が自分の存在意義でもあるから。
例えるならそれは箱庭療法も似て、世俗的な毎日から離れて自分を解放する方法としての側面がある。
作品の良し悪しより、自分の作りたかったものが完成できたか、出来なかったか。その判断の方が少し上回ってしまうのではないか。
仮にここにそれなりの集客があるミュージシャンがいるとしよう。
彼らは常にリスナーを意識している。自分の音楽に彼らは何を求めているか。自分たちの歌のどんなところが入れられているか。そのためのアンテナをいつも高く上げ、キャッチしようとしている。
そしてそんなキャッチボールを楽しみつつ、音楽での生業のために奮闘している。そんな風に僕には見える。
一方、あえて僕自身のことを言えば、第一には、自分が目指す音楽的地平線の先を見たい。それが一番の目標であり、その立ち位置で音楽を生業にできるのなら幸せだと考えてきた。
巷の大小様々なライブハウスで歌っているミュージシャン。みんな百人百様の考えや目標を持って活動している。多くのSNSで発信している内容も様々だし、何にフォーカスするかも自由な時代。
だからこそ、なぜ自分も今もまだ音楽を作り歌うのか。そんなことをもう一度考えてみたい。そう思う今日この頃です。
前置きが長くなり恐縮です。
あっという間に六月がやってきますね。三月半ばから世の中が少しずつ平常の姿に戻ってきました。この約三年間の空白の様な時間が与えた影響は物質的、精神的、その全てに大きなインパクトを与えたと感じます。
今はリハビリのごとく、一歩一歩、前に進めたならOKかなと考え、焦らずに、地道に、初心に返り、できることだけに目を向け、精進したいと思います。
東横線白楽にある小さなアコースティック専門の小さなハコですが、アマチュアミュージシャンの「音楽魂」が宿るお店として認知されることを願います。こらからもよろしくお願い申し上げます。
2023年5月30日 曇り空の上の太陽の輝きを望みつつ。白楽Nap代表 竹村龍彦