Napの考えること2024(その137)「歌うたい」
能登半島地震の被災者の皆様に心よりのお見舞いを申し上げます。
つい先日のテレビで年配のご夫婦がインタビューに答えた言葉は、「水がなくてもやはりここに住みたい」でした。緊急避難先に一旦移住して生活している彼らには、”ひとはパンのみにて生くるものにあらず”ということなのでしょう。
大きな災害があるたびにきっと皆様も深く考えることが多いことと思います。一日も早く被災地の方々が日常生活を取り戻すことを切に祈ります。
今年の元日からのことゆえ、Napでも2024年一月の通常ライブは、微力ながらチャリティも兼ねたライブとしておりました。改めて、皆様のたくさんのお心に感謝申し上げます。(Nap公式サイトにて募金のご報告をさせていただきます。)
さて、Napは日吉時代から数えると、23年目に入っています。そんなこともあり、出演者の中には、今年が子供が受験です、とか、あれから結婚して子供が生まれました、等々聞くことも多くなりました。
よく曲を例える話に、オリジナル曲も自分の子供のようなもの、なんてことがあります。確かにそんな気持ち分かります。僕もつい贔屓目に自分の曲を評価しがちになります。特に若い頃は。しかしだんだんと、キャリアを積むごとに、自分の曲も冷静に判断できるようになりました(苦笑)。
そうすると、自分が作った曲群の中で自然と、ヒエラルキーのようなものが出来上がってきて、ほぼ今は歌わない(歌えない?)、という作品がちらほら出てきます。
そんな歌をたまにノートから出してきて、部屋で歌ってみたりすると、あっと言う間にその頃の拙く苦(にが)い?自分の心象風景のようなものが見えてきて、若い頃の自分へ思わずエールを送りたくなるような、なんとも言えない不思議な心持ちになります。
きっと歌い手の方は同じ経験をされることがあるかと、想像いたしますが・・・。
人はそのように、日々の暮らしの中での心象風景を現実の風景や匂いや歌に刻んでいくものです。そして「歌うたい」は、それを自分の曲に感じることがあるから、タイムマシーンを持っているのと同じかもしれませんね。
広い世の中、いろんな目的を持つ「歌うたい」がいます。でも一番持ち続けたいことは、好きだから歌い続ける、という気持ちだと僕は思っています。使い古された言葉ですが、「音を楽しむ」、と書いてこその音楽ですから!
さあて、もう2024年も二月に入ります。地球は人間の力ではどうにもならないことを思い知った年初めでした。それでも地にしっかり足をつけて日々過ごせたらと、自分自身をも励ましつつ、歩んでいきたいものです。
ぜひお時間が許す限り、Napにも足を運んでくだされば幸いです。アマチュアならではの世界をきっと楽しめるはずです。新しい出演者も募集中です!!引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。
2024.2.1 早く春よ来い!!!! Nap代表 竹村龍彦