Napの考えること2021(その127)「断捨離とは」
やっとコロナ感染拡大が少しおさまりつつある日々となりました。しかし、まだまだ気持ちに落ち着きは取り戻せていないというのが実感です。
果たしてこの自粛期間に助走期間をつくれたか否か。まだまだこの先うまくコントロールするにはもう少し時間がかかるかもしれませんね。
きっと皆様もエスカレーターに乗るみたいに自然と動く気持ちと、一方、自分の足で動かさなければならないところを一生懸命探っているのではないか、と勝手に想像する次第です。僕もじっくりと自分の中の大切なものを見つめながら一歩一歩前に進みたいと思います。
さて、白楽Napは来月12月で移転から一周年(日吉Nap設立から数えると二十周年)となります。去年の今頃は日吉の解体と白楽の新規工事を同時に行いつつ、音響屋さんや防音工事のあれやこれやで怒涛の忙しさでした。今では懐かしく思い出されます。
そして当時、それは多くの皆様からの応援や激励のお言葉を賜りました。それら全てが僕らにとっての大きな心の支えとなりました。改めてここに感謝を申し上げたいと思います!
12月はほんのささやかではありますが記念品をご用意させていただきます。ぜひタイミングの合う方はこの機会にご出演いただければ幸いです。引き続きの感染予防にも留意しつつ営業しておりますので、お客様にも安心して足を運んでくださればと存じます。
さて、このコロナ渦の期間、僕も懸案の(?!)断捨離にチャレンジしてみました!
そこで最後まで悩んだのは、もう聞かないであろうCDや、もう読まないであろうと思える単行本でした。それと意外に場所をとっている音楽雑誌等々・・・。
で、結果どうなったかと申しますと、相も変わらず、CDや単行本、雑誌たちが椅子の周りを取り囲み、陣取っているのでした(苦笑)。
そこで一つ思い出した事がありました。
僕の亡き親父は大工の棟梁として予算の少ない施主のために知恵を働かせて仕事をしていたとその昔母から聞いたことがあります。
雪深い秋田の実家の一階の半分は親父のための広い作業場でした。そこにはたくさんの工具があって、のこぎり、かんな、金槌等々、様々な道具が所狭しと置いてありました。
いつも親父はそこにいて何かを探したり、磨いたり、工作したり、それが終わると自転車で遠くまで出かけるというような毎日が職人引退後の親父の生活だったようです。
やがて家を継いだ妹がその実家を立て直すとなった時、親父の持っていた多くの様々な道具も整理され、必要なものだけを残し、庭の隅に作った物置の端にちょこんと収められました。
それから数年経つ頃、親父は少しずつ物忘れが多くなり・・・という状況になった時、僕は妹にあの錆び付いた親父の道具類を整理したのは良くなかったのかな? と話したことを思い出します。
断捨離をしていて考えました。人はいらないものと必要なものを区別する際に一体何を基準にしたら良いのだろう? この問いが僕の頭を横切るたびに僕の片付け作業は何度も中断しました。
しかしそこで小さな結論が一つ。それは、もう聞かないであろうCD、もう読まないであろう単行本、これら捨てられなかったものは全て僕という人間に必要な生活風景の一部なのだ、ということでした。
そしてまた分かったことは、僕の断捨離はきっと半分だけしか達成できないだろう、ということ(苦笑)。別の言い方をするならば、僕が大事にしているものが何か、を知ることができました。
ここ白楽にNapが移転することで環境もだいぶ変わりました。コロナウィルスは様々なところに変化を求めている気がいたします。しかし大事にするものは何かをみつめる良い機会にもなりました。
皆様におきましても、コロナ、インフルエンザ、ただの風邪等々にも負けないようご自愛くださいませ。重ねてこれからも宜しくお願い申し上げます。
感謝を込めて。
2021.11/6 白楽Nap 代表竹村龍彦
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