2021年11月6日土曜日

Napの考えること2021(その127)「断捨離とは」


やっとコロナ感染拡大が少しおさまりつつある日々となりました。しかし、まだまだ気持ちに落ち着きは取り戻せていないというのが実感です。


果たしてこの自粛期間に助走期間をつくれたか否か。まだまだこの先うまくコントロールするにはもう少し時間がかかるかもしれませんね。


きっと皆様もエスカレーターに乗るみたいに自然と動く気持ちと、一方、自分の足で動かさなければならないところを一生懸命探っているのではないか、と勝手に想像する次第です。僕もじっくりと自分の中の大切なものを見つめながら一歩一歩前に進みたいと思います。


さて、白楽Napは来月12月で移転から一周年(日吉Nap設立から数えると二十周年)となります。去年の今頃は日吉の解体と白楽の新規工事を同時に行いつつ、音響屋さんや防音工事のあれやこれやで怒涛の忙しさでした。今では懐かしく思い出されます。


そして当時、それは多くの皆様からの応援や激励のお言葉を賜りました。それら全てが僕らにとっての大きな心の支えとなりました。改めてここに感謝を申し上げたいと思います!


12月はほんのささやかではありますが記念品をご用意させていただきます。ぜひタイミングの合う方はこの機会にご出演いただければ幸いです。引き続きの感染予防にも留意しつつ営業しておりますので、お客様にも安心して足を運んでくださればと存じます。


さて、このコロナ渦の期間、僕も懸案の(?!)断捨離にチャレンジしてみました!


そこで最後まで悩んだのは、もう聞かないであろうCDや、もう読まないであろうと思える単行本でした。それと意外に場所をとっている音楽雑誌等々・・・。


で、結果どうなったかと申しますと、相も変わらず、CDや単行本、雑誌たちが椅子の周りを取り囲み、陣取っているのでした(苦笑)。


そこで一つ思い出した事がありました。


僕の亡き親父は大工の棟梁として予算の少ない施主のために知恵を働かせて仕事をしていたとその昔母から聞いたことがあります。


雪深い秋田の実家の一階の半分は親父のための広い作業場でした。そこにはたくさんの工具があって、のこぎり、かんな、金槌等々、様々な道具が所狭しと置いてありました。


いつも親父はそこにいて何かを探したり、磨いたり、工作したり、それが終わると自転車で遠くまで出かけるというような毎日が職人引退後の親父の生活だったようです。


やがて家を継いだ妹がその実家を立て直すとなった時、親父の持っていた多くの様々な道具も整理され、必要なものだけを残し、庭の隅に作った物置の端にちょこんと収められました。


それから数年経つ頃、親父は少しずつ物忘れが多くなり・・・という状況になった時、僕は妹にあの錆び付いた親父の道具類を整理したのは良くなかったのかな? と話したことを思い出します。


断捨離をしていて考えました。人はいらないものと必要なものを区別する際に一体何を基準にしたら良いのだろう? この問いが僕の頭を横切るたびに僕の片付け作業は何度も中断しました。


しかしそこで小さな結論が一つ。それは、もう聞かないであろうCD、もう読まないであろう単行本、これら捨てられなかったものは全て僕という人間に必要な生活風景の一部なのだ、ということでした。


そしてまた分かったことは、僕の断捨離はきっと半分だけしか達成できないだろう、ということ(苦笑)。別の言い方をするならば、僕が大事にしているものが何か、を知ることができました。


ここ白楽にNapが移転することで環境もだいぶ変わりました。コロナウィルスは様々なところに変化を求めている気がいたします。しかし大事にするものは何かをみつめる良い機会にもなりました。


皆様におきましても、コロナ、インフルエンザ、ただの風邪等々にも負けないようご自愛くださいませ。重ねてこれからも宜しくお願い申し上げます。


感謝を込めて。

2021.11/6  白楽Nap 代表竹村龍彦


2021年10月3日日曜日

 Napの考えること2021(その126)「心の処方箋」



この10月から非常事態宣言等々が解除となりました。本当の意味での日常を取り戻せる第一歩になればと祈ります。


これまでのコロナ感染拡大での途方に暮れるような時期とはまた少し違ってきました。この新しいウィルスに打ち勝つために戦ってくれた医療従事者の皆様、そして世界中のワクチン研究機関及び科学者の皆様に心よりの感謝と拍手を送りたいと思います!


今はコロナに注目が集まる時代ですが、どんな病気でも薬というものができるたびに人は未来への希望や安心を手に入れてきました。きっとコロナウィルスにも打ち勝つ日は近いと信じます。


僕は音楽の世界を生業としてきましたが、この音楽も一つの薬のようなものですね。自分自身一番身に染みて感じているかもしれません。


少年の頃、町の本屋で買った音楽雑誌に「サイモン&ガーファンクル」のポールサイモンが1973年5月に発表したソロアルバム収録の「「アメリカの歌」という歌詞が載っていました(今もその雑誌を大切に持っています!)。その頃の自分のモヤモヤとした気持ちを見透かしたような言葉の羅列があって、ハッとしました。


学校で毎日のように話す友人でもなく、ましてや親や兄弟でもなく、遠い外国のアーティストが僕のすぐ隣に座り、耳元で語ってくれている。そんな不思議な感覚にとらわれました。そして自分の心がスッと晴れていくのを感じたものです。


コロナが収束し、経済も回り、人々の生活も安定していくことを誰しもが望むこの時代。だからこそ自分の心の処方箋にも気を留めることも大切と思う今日この頃です。


「白楽Nap」も音楽を聴くことが大好きな人、音楽を奏でることで力を与え(与えられ)もらっている人、そんな人々が集う場所となれるようにと願います。重ねてこれからも宜しくお願い申し上げます。


10/3 台風の後の秋晴れの日の夕暮れ時にて。Nap代表 竹村龍彦

2021年6月17日木曜日

 Napの考えること2021(その125)「煩悩」



常に新しい音楽を求めている自分としては、CD店で先入観なしに単純にジャケ買いして、思わぬ収穫があったりすることがあると嬉しかったりしたもの。


しかし今は当然にそうも行かないからストレスもそれなりに溜まってきた。それならと、自分で新しい音楽制作を始めよう、と思った時、ふと頭をよこぎる。


誰に聞いてもらいたい作品なのか、いや、単に自分のためだけに作るのも良いのでは、と早々にいつもの煩悩の渦が巻き込んできた。


これがアマチュアならではの自由さであり、遅々として進まない原因なのか、と無理くり自分を納得させつつ、いや違うだろう、これはつまり音楽への熱情が薄れている証拠なのだ、と思い直す。


なぜか、いざ作業を始めようとすると急に片付けが始まり、まずは机周りを心地よい環境にしなければ、と脳が訴えかけてくる。粗方それが済むと、コーヒーなんかを飲んで一服。よ~しじゃあ明日からにすっかなー、なんてことでまた先行き不明の延期となる。まるでコロナ収束の話のようでどうも笑えない。


こんな自分が言うと説得力はないが、やはり直感に従うことは大事と思う。今思うなら今行動する。これが肝心なこと。さ、明日からそのように行動しよう! 苦笑。


混乱の時代ですが、白楽Napも今はやれることにまずは力を尽くして、地道にライブ営業も続けております。そして来る日に備えようと思っています。


皆様とまた自由な気持ちで会える日を信じそれを楽しみにしております! 

これからもよろしくお願い申し上げます。

2021.6/17 Nap代表 竹村龍彦


2021年3月4日木曜日

Napの考えること2021(その124)「言の葉」


先日TVをつけたら「うっせぇわ」という巷で少し話題になっているそうな。この歌の歌詞が過激であるとかないとか。子供が「うっせぇわ」と連呼して歌うから大丈夫か? 的な話だった。コーヒーを煎れながら流し聞きだったので詳しくは分かりませんが。


そこでふと思いました。古い話で恐縮ですがその昔、「ドリフターズ」という国民的なコメディアンのコントグループが人気のテレビで「うん○チ○チ○」というギャグを飛ばし、それが子供たちに大受けして、そこらじゅうで真似しだすという話。


当時もテレビでたちまち話題になって、しまいにはこの人気番組を見ないように、などという御触れさえ出るほど流行りました。


全体の流れから言葉の一つだけを切り取ると、伝えたい意図が歪められてしまうことはよくあること。作者の意図したものと変わってしまう。その点、コントも音楽も似ている。


気になって「うっせぇわ」という歌の歌詞をネットで検索してみた。ところどころ過激と言えなくはない表現があるにはあるが、今の若い人や子供の感性にはバッチリとフィットしそうだ。


メロディにのせた歌詞は、リズム、アレンジ、歌声が合わさって作り上げていくもの。文学や詩の世界と比べようもない。ボブディランもノーベル文学賞の際に、歌の歌詞は文学とは違う、云々等々言っていたように思う。


音楽の魅力は、いつでもどこにいても、その歌を口ずさめばすぐに世界が広がる。そして時に心を慰め、励ましもしてくれる。それがなんといっても音楽だけが持つ素晴らしさだ。


閑話休題。


さて、新型コロナの不安は未だ止まずですね。昨日は、緊急事態宣言の延長も言われ、3月中旬からのタイムテーブルにも変更が生じる可能性もありますが、行政の発表を待ちまして速やかにご案内させていただきます。また元気なお顔で皆様とお会いできる日を楽しみにしております。


日吉から白楽に移転したばかりの「Nap」ですが、どうかこれからもよろしくお願い申し上げます。

2021.3.4 白楽Nap 代表 竹村龍彦  

(花粉に悩まされつつ。太陽の眩しい気持ちのよい昼時にて。)


2021年1月24日日曜日

 Napの考えること2021( その123)「窓に映る雨」



昨日は白楽へ移転して初めての雨の中でのライブでした。三階の窓から雨しずくが見えて不思議な感じがしました。この新しい場所、白楽でのNapは日吉で使っていたドアや絵も飾り、お客様やアーティストにこれまでのNapと同じ印象を持って訪れてほしいと願っていました。


それはある程度の成果があって嬉しかったです。すでに何度もライブ配信しているのでご存知の方も多いと思いますが、三階から見える景色も楽しんでもらおうと暗幕を開け放してライブもしています。ようやくここ白楽での音像もだいぶ見えてきた今日この頃です。


何しろ私たちも一からの新しいスタートの場所なので、しばらくは他人の家に預けられた猫みたいに動線が定まらないようなこともしばしばでした。しかしそれも移転から一ヶ月過ぎて頭の中でもお店の空間をしっかりと描けるようになりました(苦笑)。


それにしても、いつも外が見えるということの素晴らしさは、日吉では味わえなかったものの一つですが、これは想像以上に大きな満足感を与えてくれました。何よりご来店くださったお客様やアーティストにもとても好評なので、嬉しい限りです!


店内は床から壁まで全て防音材をしっかり敷き詰めたため、だいぶ本来の面積より狭くなりましたが、その分、手前味噌ではありますが以前よりアットホームな空間になったのではないかと感じます。


まだまだコロナ感染の猛威は止みませんが、少しずつ収束に向かって物事がきっと進むはずです。そんな希望をいつも抱いていきたいと思います。


皆様におきましてもどうか感染にはお気をつけてお元気なお顔でまた会える日を祈っております。重ねて新たなこの「白楽Nap」をどうかよろしくお願い申し上げます。

2021.1/24 Nap竹村龍彦


2021年1月23日土曜日

 


Napの考えること2021( その122)「自分らしさ」



完全なる静けさ(無音)というのはオーディオメーカーにはそのようなブースがあると聞くが、現実にはどこにも存在しないわけで、これを書いているこの部屋にも車の騒音やらが聞こえる。雨の日や風の強い日は、窓に映る景色と相まって心地良いノイズとして耳に届く。


ライブハウスで聴く音楽もそれに近い。ドリンクをつくる音や椅子を動かす音。機械音やエアコンのかすかなモータの音。ライブ中の小さな囁き声等々、様々で多くのノイズに溢れている。


それらを含んだ空間の中で演奏し歌う。緊張感が漂うステージの凛とした気分もここでしか味わえない。そんな場所で自然に呼吸をするように歌えたらと願うけれど、なかなかそうはいかない。部屋で歌うように気持ちよく背伸びするみたいに歌う人は素晴らしいと思う。


曲も然り。ふと流れた歌に、なんて良い歌なんだ、と感じ、同じようなものを作れたらとギターを爪弾くけれど、うまく出来た試しがない。もし作れたとしてもそれは二番煎じになりはしないか? などと思い直したりする。結局、何も考えてないときに歌が生まれてくるから不思議だ。


歌声も然り。良い声してるなあ、なんて誰かの曲を聞いていると自分と正反対の歌声だったりする。ないものねだり。つい自分にない声に知らずに憧れてしまう。逆に似たような声質に出会うと妙に落ち着かない気分になることもある。


それでもたくさん歌を作って、歌っていくうちに自分の声にも慣れてくるもの。客観的に自分の歌声がわかった気がして、あ、そっか、こんな曲にはよく合うんだな、とか発見もあったりする。


世の中のヒット曲といえば、ガツガツと気合いを入れてもらえる歌や、攻撃的で破壊的な音がカタルシスを与えてくれる歌。はたまた、心寄せるよな優しく励ますような歌もある。そのいずれも曲や演奏、アレンジが物を言うが、はやり最終的な一番の楽器は歌声だな、と最近は特に思う。


自分が好きな歌と自分が作る歌とは必ずしも一致しないところに曲作りの面白さがあって、自分だけが生み出せる歌というのがあるに違いない。そう信じているからこそ続けられる。そしてそれを掘り起こす作業というものは基本的に楽しいもの。負け惜しみではなく、それが職業作家ではないアマチュアならではの贅沢とも言えるかも。

2021.1/21 Nap竹村龍彦

Napの考えること2021(その121)「BGM」



僕は何をするにも音楽が流れていないと落ち着かないタチです。そばに音を鳴らす機械がなければ頭の中で鳴る音楽を口ずさんだりします。


そんなときに面白いと感じるのは、次から次に口ずさむ歌の数々には何の脈略もなく、関連性もなく、それこそ洋楽、邦楽も問わない。ましてやジャンルもまた関係なくどんどん口ずさんでいるということ。


もちろん、自分の脳内に記憶のある歌にあることは違いありませんが、何故に今この歌? みたいなこともしばしばです。


そんなふうに僕の生活からは音楽は切り離させないものとしてあります。もちろん百人百様ですから意識しない限り、音楽を聞かない方も当然にいますね。


自分にとっての音楽の必要性はどこにあるのか。なぜにこんなにも生活の中に音楽を求めているのか。それを探るのも面白いかも。


そんなこともテーマの一つに挙げてこの新しい一年、ブログを続けていきたいと思います。2021年、希望を胸に抱きつつ。これからもよろしくお願いいたします。


2021.1/19 Nap竹村龍彦