Napの考えること2021( その122)「自分らしさ」
完全なる静けさ(無音)というのはオーディオメーカーにはそのようなブースがあると聞くが、現実にはどこにも存在しないわけで、これを書いているこの部屋にも車の騒音やらが聞こえる。雨の日や風の強い日は、窓に映る景色と相まって心地良いノイズとして耳に届く。
ライブハウスで聴く音楽もそれに近い。ドリンクをつくる音や椅子を動かす音。機械音やエアコンのかすかなモータの音。ライブ中の小さな囁き声等々、様々で多くのノイズに溢れている。
それらを含んだ空間の中で演奏し歌う。緊張感が漂うステージの凛とした気分もここでしか味わえない。そんな場所で自然に呼吸をするように歌えたらと願うけれど、なかなかそうはいかない。部屋で歌うように気持ちよく背伸びするみたいに歌う人は素晴らしいと思う。
曲も然り。ふと流れた歌に、なんて良い歌なんだ、と感じ、同じようなものを作れたらとギターを爪弾くけれど、うまく出来た試しがない。もし作れたとしてもそれは二番煎じになりはしないか? などと思い直したりする。結局、何も考えてないときに歌が生まれてくるから不思議だ。
歌声も然り。良い声してるなあ、なんて誰かの曲を聞いていると自分と正反対の歌声だったりする。ないものねだり。つい自分にない声に知らずに憧れてしまう。逆に似たような声質に出会うと妙に落ち着かない気分になることもある。
それでもたくさん歌を作って、歌っていくうちに自分の声にも慣れてくるもの。客観的に自分の歌声がわかった気がして、あ、そっか、こんな曲にはよく合うんだな、とか発見もあったりする。
世の中のヒット曲といえば、ガツガツと気合いを入れてもらえる歌や、攻撃的で破壊的な音がカタルシスを与えてくれる歌。はたまた、心寄せるよな優しく励ますような歌もある。そのいずれも曲や演奏、アレンジが物を言うが、はやり最終的な一番の楽器は歌声だな、と最近は特に思う。
自分が好きな歌と自分が作る歌とは必ずしも一致しないところに曲作りの面白さがあって、自分だけが生み出せる歌というのがあるに違いない。そう信じているからこそ続けられる。そしてそれを掘り起こす作業というものは基本的に楽しいもの。負け惜しみではなく、それが職業作家ではないアマチュアならではの贅沢とも言えるかも。
2021.1/21 Nap竹村龍彦
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