2021年1月23日土曜日

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Napの考えること2004(#8-#11) 

 



2003年 12月 22日


Napの考えること(その11) 「二周年」



おかげさまで無事二周年記念イベントを楽しく開催させていただくことができました。ご参加いただいた多くの皆様、ほんとうにありがとうございました。


さて、今日はすこし長いお話をさせていただいてもよろしいでしょうか。よろしかったらお付き合いください。


Napは12月22日がOPENの日でした。そのために、師走のまっただ中いろいろな準備に追われていた当時の細々とした事をこの時期になると思い出します。


この仕事を始めると決めた時は自分の家族以外のすべての方が身内も含め知人友人のほとんどが反対されました。もちろんすべての方が心からの心配を込めてですが。


ライブハウスのことはもちろんのこと、数年の間だけ会社役員という立場で少しだけ経営的立場を学ぶ機会があったという経験だけでは、当然まわりの人間が心配するのは理解できました。しかし、自分の中にははっきりとした、ちょっとおかしな表現ですが、「漠然とした確信」というやつがありました。うまくニュアンスが伝えにくいのですが、「今のこの自分にはもう一度音楽に立ちかえることが最良だ」と、そんなふうに思いつめるところがありました。だからもう誰が反対しようが、どんな困難がこれから待ち受けていようがすでに自分の中ではもう決めていました。


そして、いざこの計画を実行に移すとなった時に、わたしの中には迷いも不安も不思議な程多くはなかったのです。それはきっと、「どんなライブハウスにしたいのか」、という基本的なコンセプトがすぐにできてしまったからなのだと思います。


それは、これまで自分が長い間うたってきて様々なライブハウスで、その時代の、そのハコで歌い、そしてその日に一緒に対バンしたアーティストやスタッフとも接してきたことが知らずのうちに自分の中に経験として自然と蓄積され残ってきたからなのかもしれません。


 だから答えは簡単でした。「いまのこの自分が歌いたいと思えるハコを想像すればいい」。そのたったひとつだけを考えてNapは計画しました。そんなNapが今このようにたくさんの方に囲まれて無事二周年を迎えられたことにほんとに感謝しています。そしてこれまで支えてくれたすべての方々に感謝したい気持ちです。


さて、話は少々変わりますが、誰しもが考えることかもしれませんがわたしも最近よく考えます。「自分の内なる声はなにを自分に訴えているのか」。焦っている時、余裕のない時、人を憎むような寒々しい気持ちに心が覆われてしまっているときに自分は今一体何をしたいのか、ほんとうに幸せになりたいのかがよく分からなくなりますそんなときにわたしはよく自分の若い頃を思い出します。一番好きな歌をうたっているステージにたつ自分をです。そして考えます。あの頃の自分がもしここに立っていたらどう思うか。それはこの店を始めた原点を見つめるに一番容易い方法です。


二十代の頃は12月が嫌いでした。なぜかこの時期になると、いつも自分が取り残された人間に思えてしまうからです。実は今もあの頃の自分とちっとも変わりません。12月はやはり苦手です。でもNapは皮肉(!?)にも12月22日に生まれたライブハウスです。これからも毎年12月に周年イベントが行われる訳です。


そして昨日のイベントで歌うみなさんの姿を見て、わたしはまた自分の二十代の頃を思っていました。今日彼らがどんな思いを持ってステージに立っていたとしても、それはきっと必ず自身の心の中に決して消えて無くなるような決してそんなものではなく、どんな大きさのものかは分からないけれど、きっとこの先心の奥底で消えない宝物のひとつとして積み上げられているのだろうな、と。そんなことを感じながら彼らの演奏に耳を傾けていました。


来年はもっとわたしもステージに立とうと思っています。みなさんと同じようにやはりもっともっと音楽が必要だからです。

 

Napはこんなド素人の人間が経営している小さなライブハウスです。しかし、わたしの確信は今も変わりありません。それは、「今も昔もそしてこれからも音楽を純粋に本当に必要としているのなら続けていく」、ということです。それを忘れないでいたいと思っています。


いよいよ三年目に入ることになったNapがこの先も二十代のあの頃の自分が出たいと思うようなライブハウスであるのかどうか。それをこれからも問い続けながら格闘していきたいと思っています。


昨日は多くの皆様に二周年を祝っていだだきまして本当にありがとうございました。心からお礼申し上げます。






2003年 09月 28日


Napの考えること(その10) 「感謝を込めて」



ライブハウスで苦慮することのひとつに出演順ということがあります。実際、みなさんトップは敬遠するのが実情です。その理由もご察しのとおり様々ですが、お客さんの入り時間がスタート時間の19:00(土日祝は18:30です)だとちょっとね、というのも確かにあります。でもトップがないと始まらないということも当然ありますので、ハコによっては、トップは新人、二番目は中堅、3番目はベテランというように決めているところもあるほどです。


しかし、普通に考えた場合、その日に行われるライブのトップとトリが「要」だということもあって、別の意味でも悩むところでもあります。しかしながら,Napでは、「続けてトップはなし」という原則に沿ってブッキングしています。そしてまた、例外もなし、という鉄則も守ってやってきているつもりです。そして基本的にはアーティストには出演順を前もってお知らせはしない、ということも方針として決めてきました。


その主な理由は、なるべくなら最初からお目当てのアーティスト以外の方の演奏も聴いてほしいと願っているからです。だけどもまあ、そうは言っても、やはり来てくれるお客さんの事情もあることですので、あらかじめ出演時間が必要という方もいらっしゃいます。そこんところはもちろん柔軟に対応はしておりますが・・・。

 

そのようなわけで、出演者のみなさまのご理解とご協力をいただきながら日々、出演順を決めさせていただいている次第です。それはまあともかくとして、ライブはやはり、可能な限り一番目から楽しむのが一番です。Napはチケット料金もお手頃な設定jかと思います。ぜひぜひ。 





2003年 06月 06日


Napの考えること(その9) 「夢の定義」



「夢」というものはいったい何だろう。

いろんなかたちで夢というものを語った文章にふれることがありますが、何となく定義してみたくなる言葉なのでしょう。わたしにとっての夢は? そうやって考えることが必要なのは分かっています。しかしその夢がこの毎日の天気のようにいつも一定ではなく刻々と変わっていくものだったとしたらそれは、「夢」とは言えないのか。そんな疑問がたまに頭を横切ることがあります。

 

昨日まで信じていたことが、今日信じられなくなるという自己矛盾に突き当たることは日常の中でもよくあることです(それはわたしだけ?)。・・・それはまあ置いといて。ただ、そうだとして、そんな状態の中で常に夢を見続け追いかけるということはかなり難しい。むしろ「夢」そのものを追いかける気力を失いそうになくなることの方が多い。そう思えることの方が多い、と、わたしは思う(一応断言)。で、わたしも音楽を続けている者のひとりとして、かなりこのことは考えてもみたりするのです。

 

夢としての音楽。その定義はあるときはメジャーになることだったり、ある時は自分の納得する曲を完成させることだったり、けっこういろいろとかたちを変えてやってくることを経験してきました。でもこれまでも何度か書いてきたことなのですが、結局のところ、自分が表現したい何かがある限り音楽は続けていくのだろうな、という漠然とした結論が最後にはやってくるのです。


自分が表現したい何か。それはただ自分自身が渇望しているもので、誰からも影響されないもののはずだ、っていう確信を最後には得るのです。そしてまたその手段が単に自分にとっては音楽なだけ、ということも。 






2003年 03月 25日


Napの考えること(その8)「スタンス」 



毎日仕事柄たくさんアーティストを誰よりも観られるというのがライブハウスに関われる者の特権です。わたしもいままで当然のようにそのような経験がなかったわけです。そこには実にたくさんのいろんなものが見えてきます。それによって音楽への見方がかなり変わったのも確かです。そこで見えてきたもののひとつをここで紹介したいと思います。もちろん極めて個人的な私見に過ぎませんが。それはたとえば以下のようなものになります。

 

それは、毎日のライブの中で当然ではありますがひとつも同じ空気感を味わえることはない、ということです。それは毎月顔を合わせるレギュラーのアーティストでもそうなのです。ほんとにその日その時に出演するアーティストによって見事にハコの空気は変わるということです。同じ日に順々とステージに上がっていくその出演者によってはっきりと空気が変わるということです。言わずもがな、ではありますがお客さんの立場でお店に遊びに来ていただくともっとはっきりと感じるでしょう。とくに自分が同じステージに立った経験のあるアーティストならなおさらだと思います。

 

それぞれの方が、いろんなスタンスでいろんな気持ちで音楽に向かってそして思い立ってよし、ライブをやろう、と思ってステージに立つ。それで友人やら知人やらファン等に声をかけて、その日にたつライブに向けて練習を積む。当日がやってくる。そうしてやってきた自分の時間に真剣に向き合おうとする。すごいエネルギーがいることでしょう。そしてそれこそハコによっては閉鎖的な空間もあり、排他的な空間もあり、または大きな愛で包まれるようなステキな空間もあったりもするだろう。

 

でもステージに立って歌をうたって、という行動にはどんな芸術もそうであるように、基本は大きい小さいを別に、「自由を得たい」から。自分が今現在抱えつつある(既に抱えている)不自由さから早くこの自分を、「解放させたい」という気持ちが働いているからだとわたしは思うのです。それをはっきりと感じられるからアマチュアのライブがわたしは好きです。そして、その様な気持ちがすべての人に共通に貫いているという、あたりまえのことをあらためてこの仕事を通して感じ知ることができました。すべての芸術が好き嫌いを自由に選べます。音楽ももちろんですよね。唯一自分の世界をとおすことができるもの、自由を自ら確実に手に入れることができるもの、それが芸術だと信じます。

 

一般的にいえば、ライブハウスではアマチュアが3組から5組の対バンで行うのがほとんどですね。そのようなライブハウスという場所では物理的に統一した空気感を最後まで包まれることはまず不可能です。だから何かの理由でその日のライブで自分が望む時間を得られなかった時なんか特に、あぁ、早くプロになっちまって自分の世界をもっと完璧なかたち(技術も含めて)で表現してえぜ、って望むこともあるのかもしれません。

 

いやはや、しかし、うだうだと長い文章を書いてきましたが要するに言いたいことはこの仕事を通して、自由というものの捉え方はひとつとして同じものがない、というあたりまえのことを改めてはっきりと確信したということです。もっときざな言い方をすれば、自分が一番幸せと感じる着地点もひとつも同じものがないんだ、ということを改めて考えるようになりました。


わたしは一時期、何も見えないままに音楽というものを盲信(自分の世界の中の音楽という意味です)していましたからこのことはけっこう大きなことでした。おかげで音楽に対する向き合い方も少しばかり変わっちまいました。で、このことがこれからの自分にとって一体何を得ていくのか、もしくはすでに得たのかをは定かではありません。でも変化したのは確かです。内面的にです。外面的には少々太りました・・・。  


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