2021年1月23日土曜日

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Napの考えること2015#66-#71



考えること(その71)「2015年 大晦日」


あっという間の1年とはこのことを言うのですねえ。Napはこの12月で無事14周年を迎えることができました。この一年、ご出演してくださったアーティストの皆様、そして足を運んでくださったたくさんのお客様に改めて感謝申し上げます。


昨日は恒例のマリンバ奏者の長谷川剛士さん率いるプロの音楽楽団による公演がありました。そして今年の大晦日は「K.K.」さんによる久しぶりのカウントダウン公演があります。こちらも楽しみです。


さて、窓から見える高速道路にはゆったりと走る車がポツポツあるくらいで、すでに年末最後の日の雰囲気が漂っていますね。Napではまだまだイベントは続いております。来年もたくさんの方に利用され愛されるようなお店となるよう精進したいと思います。来年もよろしくお願い申し上げます。良いお年をお迎えください!! Napスタッフ一同。2015年 大晦日。








考えること(その70)「メリークリスマス!」


昨日はクリスマスイブでした。そして今日はクリスマス。日本中、プレゼントを贈ったり、ケーキを食べたりする光景は毎年恒例となっています。さあ、ここからがいつも早いですね。あっという間に除夜の鐘の音が聞こえて来る日が近くなります。


個人的なことで言えば、今年ほど自分の音楽の方向性が定まらなかった年もなかったです。始めるのも止めるのも誰の強制でもなく、単純に好きだから始めた音楽なのに、何かにしがみついているみたいに感じて。これまで作ってきた音楽さえ薄っぺらな曲に思えたりして。そんな時は錆びついていく弦さえ自分の心を映しているように感じました。こんなダウナーな気持ちは趣味や職業は別として誰しもが年に一度くらいは経験することなのかもしれません。もちろん僕の勝手な想像ですが。


そんな時、こうも考えている自分がいました。音楽のことで悩むことは幸運なこと、何より平和な悩みだと。テレビなどで毎日のように流れる暗いニュースを見るたびにそう思いました。


どの方向に心の焦点を当てるかが大事なように、日々の生活の中でも、好きなもの(例えばそれがあなたにとって音楽だったり)を考える時、憂鬱な気持ちや暗い気持ちになった心に小さな光を当ててくれるのも事実です。その道具の一つとして僕には音楽があります。


閑話休題。さてさて。あと今年もわずか一週間足らずになりました。今年もいろんなことがありました。年末だからということでなく、日々、昨日より今日、今日より明日と。そんなふうに小さな一歩を刻んでいきたいものです。北風も冬らしくなってきました。風邪などひかぬよう皆様もご自愛ください。これからもNapで音楽を楽しんでもらえると光栄です。メリークリスマス!!

2015.12/25





考えること(その69)「共通項」


おそらく人としての共通項として誰しもが抱く感情のひとつに、「喪失感」というものがあると思う。仕事柄たくさんの歌やMCを耳にするのだけれど、誰彼となく、その言葉をよく口にする。かく言うこの自分も大切な人を失った時に同じ思いを何度か経験した。ちゃんとそれに向き合うことがむつかしい分、長い期間、それは思いもしない時に現れてくる感情でもある。


その時期、僕はよく朝早く目覚めてしまい、小さな音でギターをつま弾くことが多かった。ぼんやりとした感覚を何かで埋めたいという気持ちがあった。誰かにこの気持ちを伝えることは不可能だから自分が自分を慰めるみたいに歌をつくった。そうやってずいぶんと新しい歌が生まれた。完成した歌の数々をいま客観的に捉えるのなら、雲のことを歌いたいのに、空の話ばかり。やはり正面切って向き合うことは簡単ではなかったということ。


ある日、大切な人に自分のことを歌った曲はないでしょ、と言われたことがある。確かにないのかもと言い、それから思い直して、いやこの曲は君のことを考えてつくった歌だよと伝えた。それがどの曲かもう忘れたが(笑)。このとき、自分は特定な人を想いながら歌をつくったりしないのだと知った。失恋したときに愛の歌も書けないし、幸せなときに楽しい歌も書けない。むしろ恋愛が成就している只中に別れの歌を書いて、不幸せなときに希望や未来を歌ってきた節がある。


誰かを想う、いわゆる愛する気持ちというのは目に見えない波動のようなもので伝わってゆく。それが言葉や仕草というよりも、その背中や目を合わせないその先で照射されているもの。じっと自分の心を探り、その気持ちに寄り添い、赤子を抱くようにそっと触る。そして出来るだけぴかぴかに磨いて今度はその光で十分に自分を満たすことができたのなら、間違いなくその気持ちは一ミリも違わずまっすぐに相手に届くものだと信じたい。


だから新しい歌をつくるときは、鍋のためのカット野菜をどこかで手に入れるような真似はせず、一から白菜を洗い、ネギも切って、その他いろいろと自分の冷蔵庫からひっぱり出した材料を使う。そしてできるだけ気持ちは真っ新にあるがままの思いをたくさん込めて。そうしてやっと完成した暁には、まるで撮った覚えのない写真のように自分の前にそれが現れてくる。その楽しさや、ちょっとした誇らしさは何物にも代えがたい。


絵を見たり、描いたり。歌をつくったり、唄ったり。そして聞いたり、踊ったり等々。なんでもいいと思うが、人間だけに与えられた、そんなこんなの行為は日常不可欠なものだと近頃はより強く感じてしまう。たとえ、それが何らかの利益や感動や商業的価値とは無縁なものだとしても。その人自身にとってエンジンオイルのように前に動かすものとして必要なものだと思う。


僕がカミさんと二人で始めたこの小さなライブハウスはそんな思いを持つ人々に利用されていると常日頃感じている。それは嬉しくもあり、責任もあり、小さくはあるけれど意味のある、価値のある場所として自分自身の心に刻みたい。そしてよりもっと多くの人が利用し満足できるような場所として定着していけたら幸せです。来月、12月で丸14年目を迎えるにあたり、一層心を引き締めていきたいと思います。年末に向けて皆様もお身体に気をつけて充実した日々を過ごせますよう心よりお祈り申し上げます。 

2015年11月24日 Nap代表 竹村龍彦







考えること(その68)「憧れ」


村上春樹のエッセイを読んでいると、たくさんの示唆に富んだ言葉が絶妙なユーモアを交えて書かれていて止まらなくなる。なぜこんなに日本だけではなく世界中の人々に彼の書物が支持され読まれているのか、という疑問が解けた気になる。


物事の見方や創作に対する自身の考え方等々。それこそ職業や性別年齢をも合わず、ああなるほどな、という思う箇所が多く、あっという間に読みすすんでいってしまう。終わりのない世界の紛争や日本の今の憂える状況についても、わりにはっきりと自分の考え方を書いているところにも信念の強さを感じる。


僕が二十代初めの頃、ふたつほど年上の先輩がいて、その話し方や仕草、ちょっとした会話の中に自分にはない大人を感じさせる人がいて、なんとなく憧れのような気持ちを持ったことがある。その当時は無意識だったが、その先輩の顔つきやタバコの吸い方やちょっとした仕草が頭に残って、真似てみたりしたこともあった。でも一番に真似たいのはその人の持ち合わせた性格(というか人間性というべきか)だったのだが、それは当然に僕は別の人間だから無理なわけで。いつかそのような子供じみた気持ちは消失していった。


村上春樹の本を読んでいて、ふとそのことを思い出した。若い頃、こんな大人、あんな男になりたい。そう思える人間にたくさん会うことができた人は幸せなのではあるまいか、と。「憧れ」は、なにも夢の世界の物語だけではなく、現実に生きるこの世界でも必要なものだ。村上春樹は小説家だけれど、同じ創作する人間として、ひとりの人間として、自分にはないものが多い分、その生き方、思想、生き様に憧れに似た気持ちが湧き出る。そして同じ気持ちになる人間が世界中にたくさんいることを理解した気にもなった。


音楽に感動し、音楽を奏でることに興味を持ち、自分で作った歌に愛着を持ち、どこかで歌って、誰かに伝わったことを自覚したとき、僕は勝手にミュージシャンの仲間入りしたと思っていた時期があり、そのスタート地点もやはり、「憧れ」だった。いい歌だなあ、から始まり、俺もこんな世界に生きていたい、と願い、胸の名札に「音楽家」と記すんだと自分に誓い、それを自分の最終の最大の目標に定め、生きた時代を思い起こす。


無責任のようなことを言わせてもらえば、「憧れ」に思えるような大人にこの現代の日本で巡り会うことは簡単ではない気がする。現に僕はそんな人間にずいぶん長い間出会っていないなあ・・・、まあ、あくまでも自分の尺度での「憧れ」る人間という意味ですからどうか悪しからず。


シンガーソングライターとして強烈な個性を放つ稀有なアーティスト、「竹原ピストル」さんに以前、僕の拙いインタヴューの際、「ほぼ毎日のようにライブをしてますが、どのようにしてモチベーションを保つのですか?」 と質問しました。すると彼はすかさず、「僕の中にモチベーションという言葉はないですねえ・・・」、と静かに答えました。一瞬、僕はその答えに言葉を失い黙ってしまいましたが、彼はそんな空気を知ってか知らずか、「いつも好きなことをやっていますから」と間髪いれずに答えました。ちょっとニュアンスは違ったかもしれませんが。それに似た言葉が、村上春樹のエッセイにも何度か出ていました。そのたびに、ああそうか、やっぱ、そうなんだよねぇ・・・、とひとり感じ入ってしまいました。


話は戻りますが、この村上春樹の本を読みながら、自分のどこかが、何かが、間違っているのか? と迷路に入ったウサギのごとく立ち止まる一方、結局、僕という人間のアップデートやバージョンアップは自分にしかできないのだよ、完了させることができるのは自分しかいないんじゃあないのか?、という結論に達するのであります。


誰かの音楽に感動したりするのはシンプルで直感的な分、正しいと思うし、自分が作った音楽に自分以外の誰かの心を動かすことができたかどうか、そしてもしその感触が薄かったのであれば(あくまでも創作という次元の話ですが)、まだまだ、未完成の域の音楽なのだよ、と。そう僕は自分に言い聞かせたい。


なんだか今回のこの文章は、村上春樹氏のことが主になってしまいましたが、彼の本が好きか嫌いかはともかく、現代に生きる様々な個々の人間への寛容な眼差しに共鳴もしたし、創作者としてのあるべき「カタチ」のようなもののヒントがそこかしこに溢れかえっていて非常に驚いた。いまさらながらですが、村上春樹という作家の真価のようなものを少しだけ垣間見た気がいたします。


同時に、僕自身、まだまだ追求するべき音楽がたくさんあるのだということも肝に銘じることができましたし、(無理やりな締めですが)、日々接する多くのミュージシャンにもこの気持ちがちょっとでも伝われば嬉しいです。


さてさて。だいぶ肌寒い夜も増え、秋の気配どころか冬の足跡さえ感じる今日この頃ですね。だけれど、ノロウイルスもインフルエンザにも負けずにバッタバッタと気合いで投げ倒しながら、年末にはきっと、みんな笑顔で迎えられますように! 残り二ヶ月を気合いで乗り切りましょうぞ。 


長文、乱文、お読みいただき感謝です。またNapの会場でお会する日を楽しみにしております。2015.10/25Nap竹村






考えること(その67)「桜咲く季節」



自分の音楽を追求している中で、結果、求めたカタチと違っている場合がある。それは弾き語りだとかバンドとかのスタイルの問題ではなくて、単にこの頭の中に鳴っているリズムや湧き上がるメロディや言葉が今の自分が真実に求めているものとは違っているだけ。そう思う時がある。


心の中に溜まった、言葉にできない数々の思い。それがたとえ目に映らない塵のような埃でも何日か経てばきっと紙一枚の厚さくらいにはなる。その一枚の紙を拾い上げて何を記しているかを読み解き歌にして放つ。その力が自分にどれだけあるのか、はたまたなにもないのか。天秤の片方に載せた理想のカタチ。一方に載ったいまの自分。いつか水平を保ったまま微動だにしない日を味わいたいものだ。


スポーツでいえば、日々のトレーニングが結果を出すための最低限のカリキュラムがあるように、音楽だって技術的な部分が多く含む歌や演奏はやはり日々の練習がものをいう。感性が命の曲づくりだって、音楽的理論もあるに越したことはない。さらなる高みを目指せば自然と必要に迫られる日がくるに違いない。ギターコードだって数え切れないほどの中から思いついたメロディに合わせてさっと出てきたらどんなにかいいだろう。


努力するという使い慣らしの言葉は何事にも顔を出す。それが真実だから。好きこそ物の上手なれ、という言葉はそのまま受け取ってはいけない。その先には、必ず壁があってどこにでもある、本物の努力が必要になってくる。つまり本当に好きになるための努力が待っているのだ。それを逃げずにトライしたものだけが次の列車の切符を手入れることができる。


事実そうやって努力を重ねることで、音楽を生業にしているアーティストを知る。自分のつけた確かな足跡に時に励まされながら、また新しい地平線をめざし続ける。今日もだれかの胸をふるわせ躍らせ励ます歌を届けようと歩みを進めている。そんなアーティストがつくりだす音楽があるからこそ、僕はずっと音楽を好きでいられるのだと、いまさらだけど思うのです。


桜の足音が聞こえくるこの季節。Napのステージではいつもながらアマチュア中心のライブが繰り広げられています。プロの完成度になるには中身の濃い時間と経験が必要です。様々なレベルのアーティストに一貫しているのは、自分の意思でステージに立っているということ。それぞれが様々な目標や意義を持ってステージに立つ。とても勇気がいることだと思います。それに応えるべき、ライブハウスの一つとして、Napも益々精進したいと考えます。これからもよろしくお願い申し上げます。2015.3/23Nap竹村






考えること(その66)「2015年 元旦」



そして新たな一年の始まりであります(笑)笑う角には福来たり、です!

今年もよろしくお願い申し上げます。


さて、この一年で何ができるかどうか。きっと皆様も考えたりすることでしょう。

何はともあれ個人的に一番望みなのは、心穏やかに、そしてできる限り誠実に(ここがミソ)何事にも向き合いたいものです。


そして毎年新しい音楽との出会いがあります。もちろんNapでのライブは当然としても、世界に新たに名を挙げてくる音楽(CDや配信等々で輩出されるアーティスト)も楽しみです。


なんだかんだ言っても(ちょい古い言い回しですが)、音楽は世界中のどこかに隠された秘密の扉できっとすべて繋がっているように思うので、たった今流れている(いわゆる流行の)音楽との出会いはとても大事に思います。 例えそれが必ずしも個人的好みでなかったとしてもです。


そうやってこの一年も可能な限り音楽に触れ、知り、聴き、考え、そして奏でる。そんなふうに過ごせたら幸せです。


ところで貴方が今年最初にこころ震わせ、躍らせた音楽は何でしょう。

僕の答えは来年の今日ここで発表いたします(笑)。


本年もよろしくお願い申し上げます。

元旦にて。2015.1/1 Nap 竹村

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